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「この先生に習いたい」と思ってもらえる指導を目指して

先日の修練のとき、基本の稽古が終わって子どもたちを先生ごとに振り分けていた時のこと。 「じゃあ、子どもたちを分けますね……えーっと」と僕が声をかけていると、小学生の低学年の女の子が、僕のことをじっと見ながら指を差してきま […]

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子どもたちに伝えたお話
時には「遠回り」も、子どもたちの大きな成長に繋がります

時には「遠回り」も、子どもたちの大きな成長に繋がります 少林寺拳法の指導の中では、私はあえて“遠回り”とも言えるような関わり方をすることがあります。 たとえば、技術を習得するだけであれば、大人が一つひとつ丁寧に教えてしま […]

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子どもたちに伝えたお話
日々の修練で意識をするか

先日の修練で子どもたちに聞いた。 「大会でたい人」 ぽろぽろ手があがった。 そこで、このように伝えた。 「もし、大会に出たいのであれば、日々の修練で意識しなさい。大会に出て賞を取ることが目的ではないです、でも出るのであれ […]

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少林寺拳法について想うこと
仕事の中での自他共楽

友人が家を借りている。その貸主から突然連絡があって賃料をこれだけあげてください、とのことだった。 僕は仕事で不動産の仕事をしているので、本件につき友人から「どうすればいいか?」と相談を受けた。必要以上の値上げは僕も反対だ […]

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少林寺拳法について想うこと
心の種火を燃え上がらせる

子どもだけではなく、大人も同じくかと思うが、皆心の中に炎をもっている。その炎を燃やして「あいつ元気やな」とか「いつも忙しそうやな」という人もいるが、その心の炎が「種火」のままの人もいる。 少林寺拳法の修練とは、その誰しも […]

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少林寺拳法について想うこと
修練時間を「短く(?)」する努力

修練時間だが、僕は短くていいと思う。少し物足りないかなぁ位でいいと思っている。 しかし、それは「ダラダラしないこと」が前提であり、その決められた時間のなかで、いかに集中して「濃い」修練ができるかだと思う。 実際高校時代、 […]

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少林寺拳法について想うこと
少林寺拳法がうまくなりたきゃ、心と頭の門戸を開け

特に子どもだが、少林寺拳法をしているなら「少林寺拳法に集中しろ」とは思わない。むしろ他のことも、どんどんして楽しんでもらえばいいと思っている。 「少林寺拳法」しかない。のではなく、少林寺拳法「も」ある。 その中で、「やっ […]

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子どもたちに伝えたお話
帯の色に責任を持て

先日子どもたちの指導のなかで、茶帯の小学3年生の男の子に、「一年生の黄色帯の子を指導しろ」と突然振った。いきなりのことで、何をすればいいか分からなくて戸惑っていた。 しかしこれは、「お前も茶帯やねんから年齢関係なくら指導 […]

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指導の話
具体的に言わなきゃ伝わらない

僕は毎回指導に係わった子に、必ずフィードバックをするようにしている。今日指導した中で、何が出来てて、何が出来ていなかったかを説明している。 当初、ハイハイみたいな感じで聞いていたが、最近ではそのフィードバックの時に真面目 […]

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指導の話
足を折り、視線を合わせる意味

僕は、子どもの指導をしているとき、足を折り、膝をついたり座っている。これは意図的にやっている。 まあ、僕の体がでかいので立ったままだと威圧感もあるだろう(笑 一番の目的は、彼らと視線の高さを合わすためだ。 少林寺拳法の礼 […]

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