「1つ」を重ね続ける
先日、とある指導者が辛辣な意見をしていた。その指導者が教えていた人が、練習の最後に発表したときにこう言った。 「言ったことが全然できてない」 言われた人はシュンとしていた。そらそうだ、なぜならその人はまだ緑帯だ。大会があ […]
見られる立場を意識させること
最近、子どもたちの指導をするときに、あえてこのようにしている。移動稽古など、出来ない子がいたら 「まず最初に茶帯のおねえちゃんがするから、それみて真似しなさい」と。 細かいところはともかくとして、おおむねの体の動かし方は […]
大会の結果は素直に喜べばいいが、その後がもっと大事
先日少林寺拳法の神戸市大会があった。うちの道院の子どもたちも、最優秀も取れたりし大いにがんばった。 そして、大会後初の練習日。 練習前に小学生の子どもたちにこんな話をした。 「大会ではいい成績を取った人、おめでとう。その […]
教え子が下手なら、指導者の責任
少林寺拳法における「うまい」「下手」は何を基準にするかは難しい。スポーツとしてうまい子もいれば、護身の術としては出きているが演武はうまくはない。 特に子どもにおいての差はいろいろあると思う。 しかし、ある程度、特に緑帯以 […]
演武は、どんどん外へ発信すべき
いろんな場において、大会以外で子どもたちや大人の拳士が演武を発表できる場にでていくべきだと思う。 街の祭りなどでもブースなど出して参加すべきだ。 少林寺拳法している人たちは知名度あると思っている。が、一般の人からはほとん […]
一体、それがどうなるねん
昨日大人の拳士に天地拳第二系の単演を教えていた。しかしどうも腑に落ちないようだった。 そこで、少し上の級で習うことであるが「天地拳の第二系の相対」を僕が相手をしてやらせた。 すると、なぜ単独演武でそのような動きになってい […]
子どもたちに教えられた自他共楽
毎週木曜日の夕方18時より、芦屋の道院にて子どもたちの指導をさせてもらっている。その中で最近「すごくうれしいこと」があった。 僕が前に立ち、基本稽古をするときは比較的難しいこともさせる。 それはもちろん子どもの可能性を引 […]
どれだけ相手を想って怒れるか
僕が怒鳴ったり大きな声を出しているイメージはあまりないと思うが、少林寺拳法の指導では度々大きな声で子どもたちを怒ることがある。 ただそれは、技が出来ないことについてではない。 技が出来ないのは指導者が悪いと僕は考えている […]