僕は、子どもの指導をしているとき、足を折り、膝をついたり座っている。
これは意図的にやっている。

まあ、僕の体がでかいので立ったままだと威圧感もあるだろう(笑

一番の目的は、彼らと視線の高さを合わすためだ。

少林寺拳法の礼とは、こうある。

合掌礼は少林寺拳法の礼式であり、構えの一つでもあります。 頭を下げず対等の形で行うその礼は、互いに敬 い認め合う心を形にしたものです。

出典:あ・うん こぼれ話 

対等の立場で、教え、教えられるのであれば、なにかを説明するときに目線を合わせてあげることは、すごく大事だと思っている。

まあ当然技術的にも立ったまま柔法などを教えても、変なやり方を身につけさせかねない。

不思議と、ちゃんと足を折り、子どもに正面に向かい合って話すと、よく聞いてくれる。
多分ではあるが、子どもたちもそういう対応をしてくれることで「自分を子ども扱いではなく、1人の人として対応してくれている」と感じているのではないだろうか。

また、「先生、ここができへんねん」とか、素直に言ってくれる。

僕は、どんだけ小さい子どもでも、子どもである前に1人の人であると思って対応している。
だから厳しいこともいうけど、教える責任というものを常に感じながら指導している。

で、あればこちらも何か言いたいことがあるのであれば、目の高さを合わせて教えるべきだろう。
逆の立場になればすぐわかることだと思うが…


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