修練時間だが、僕は短くていいと思う。
少し物足りないかなぁ位でいいと思っている。
しかし、それは「ダラダラしないこと」が前提であり、その決められた時間のなかで、いかに集中して「濃い」修練ができるかだと思う。
実際高校時代、僕は報徳学園でそれなりに毎年結果を出す高校だが、決して練習は長くなかった。
また、夏休みも部活はゼロ、基本土日は休みだった。
それでも、全国大会常連だったのは集中した修練、とくに徹底した基本の繰り返しにあったと思う。
時間配分の徹底
それをうまくするためには、時間割が大事だと思う。
なんとなくするのではなく、時間割を意識してやってみることだ。
時間が来たら終わり、ダラダラしないことが大事。
はい、次。はい、次と。
とはいえ、おもろいがどうか?
ここまで書くと、時間にがんじがらめでバシバシやるのか?と言えば、そういうことではない。
こうした時間的なメリハリをつけながらも、大事なことは「おもろいかどうか?」は重視している。
子どもたちが、一生懸命やりながら楽しんでくれる工夫のうえで、こうした時間的なメリハリが重要です。
よって、タイトルのとおり「修練の時間を短くする努力」と書いたが、本当の意味は参座している拳士が「修練の時間が(たのしくて)短く感じる努力」だと考えている。