毎週木曜日の夕方18時より、芦屋の道院にて子どもたちの指導をさせてもらっている。
その中で最近「すごくうれしいこと」があった。
僕が前に立ち、基本稽古をするときは比較的難しいこともさせる。
それはもちろん子どもの可能性を引き延ばすことと、「難しいことが出来た(出来るようになった)」という達成感を学んでほしいからだ。
しかし、その反面、「今日初めて体験に来ました!」という人には当然できないし、難しい。
先週の木曜日もおなじように指導し、体験の子どもたちもいた。
移動の突き蹴りをすることになり、僕は体験の子どもには
「出来なくても恥ずかしくもない、ここにいるみんなできなかった。最初は真似してやれば大丈夫」と伝えた。
体験の子どもは見よう見真似でやっている。
しかし、当然難しいので、右手左手どっちを出せばいいか分からない。
体験の二人の子は、当然戸惑っていた。
すると、小学校低学年の緑帯をした二人がささっと列を乱したものの、各々体験者につき
「こうするんや」「こっちの足を出して」と自主的に教えだした。
教えている当人たちは完璧にできるか?というと、まだ未熟だ。
しかし真摯に体験の子に「一生懸命教えている」姿は、出来る大人が教えるものとは違う、尊いものがあった。
相手を思いやり,優しさを持ってすぐに行動したことはすごいと思った。
そこで、僕はその緑帯の二人に「よし、体験の子は任せるな」と伝えた。
二人は一生懸命その後も体験の子に付き添い教えていた。
そして、練習が終わった後には、その二人に「ありがとう、助かったよ!」と伝えた。
これが最初に言ったうれしいことだった。
少林寺拳法の教えで「自他共楽」なる言葉がある。
それは、自分と同じように他人の幸せも考えて行動するという意味だが、まさにそれが表れていた瞬間だと思った。
彼ら二人は、「褒めてもらうおう」とか、「俺のほうがうまいから」という感じではなく、自主的に体験者に寄り添って教えていた姿は胸を打つものがあった。
体験者の保護者は、その日「入会したい」と言ってくれた。
こういう場面に遭遇し、子どもたちの姿から学ばせてもらっている。
そして、同時にあらためて僕なりに、子どもたちの成長の一助になるために何が伝えられるのか?を考えされました。