先日、とある指導者が辛辣な意見をしていた。
その指導者が教えていた人が、練習の最後に発表したときにこう言った。
「言ったことが全然できてない」
言われた人はシュンとしていた。
そらそうだ、なぜならその人はまだ緑帯だ。
大会があるからと言われ、単演をすることになり、燕返しを習っていないのに白蓮拳第一系をしている。
できるはずがない。
とはいえ、教えるわけだが、指導者として「教えたことの全部が出来るようになる」と思ってはいけないと僕は考えている。
3つ教えて、そのうち1つが出来るようになればいいと思う。
少林寺拳法はスポーツではない、武道だ。
武道とは1日でならず、長きにわたり修練するものだ。
また、その技術は一足飛びにうまくなることはない。
昨日も、子どもたちの指導の最後の締めのときに、一言だけ全員に伝えた。
「みんな、習字したことあるか?和紙って分かる?少林寺拳法が上手になるって、この和紙を1枚1枚貼っていくみたいなことやねん。すぐにうまくはならんねん。だからこそ1つでも改善をしてなおしていかなあかん。3つ言われて3つ出来なくても、1つは出来るようにして積み重ねていこう。」
子どもにはこう教えたが、大人の言葉でいうと、毎回1%レベルアップできれば10回で1は2.9になる。
1つ1つを意識して積み重ねていくことでしかうまくならない。
しかし、そうして上達したことは忘れないし、身につくのだ。