昨日の道院の少年部の練習。基本を担当していた。
ほとんどの子はまじめにやっている。

しかし、中にはずっとふざけている子もいる。

昨日はその場その場で怒らなかった。

基本が終了したときに、こう言った。

言わないけど、ふざけてやっている子にいちいち怒ってないだけです。
来て一生懸命やる子だけ、やればいいし僕も教える。

やらん奴は、やらんでいい。

やらない子はずっと、うまくなるはずない。それだけや。

いちいち言わないけど、自分で分かる子は分かってるでしょ。

ここにきている限り、自分を律してしなさい。

正直小学生の子どもには、厳しい話と言われるかも知れない。
ただ、僕は彼らと向かい合っている限り、こうした話を理解できるはずである。

冷たいようだが、社会はもっと厳しい。
小さい時、オカンに「あんた、怒られているうちが華やで」と言われたものだ。

今となってはよくこの言葉が分かる。

「やる気のないものをやる気にさせるのも指導者の仕事」といえばそうかも知れない。

ただ、残念なことに指導できるリソースには限りがある。

全員がやる気がないなら、そりゃ指導者やその空間に問題があるだろう。

でも、必死でやる子がいるということは、残念ながら個体の差である。

「やる気のある子にリソースを使い、やる気のない子にリソースはさかない」

どんだけ世の中平等に近づいていても、やはり差がある。
その中で、目を掛けてもらえるのは、いつの時代も「うまいやつ」ではない。

「一生懸命努力している人」が応援されるし、そういう世の中をつくりたいのであれば、小さい世界だがまずは道院支部から、そうした世界を作っていくのだ。
正直子どもたちにとって、少林寺拳法をしている時間は人生のうち僅かだ。
しかし、その中で「一生懸命やったら認められる」という経験を積ませることが、僕らのやるべきことだろう。

開祖が言った「正直者がバカを見ない世の中をつくる」という理念に僕は、「一生懸命やる奴が認められる世の中をつくる」と追加したいと思う。

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