指導者たるもの、技が出来る。
これは当然です、しかし自分がうまくなるだけならそれでいいです。
しかし、支部道院で指導をする立場であれば、「教え方」を学ぶ必要があります。
達人=育てられるではない
これは球技など、どのスポーツでもいっしょですが必ずしも「名選手」が「名コーチ」だとは限りません。
特に少林寺拳法の場合、技術のみならず「ひとづくり」が本来の目的です。
それをはき違えて「俺の技はすごい」となると本末転倒となります。
事実「達人」と言われた人が、開祖が求められた人を育てられたのか?
それはイコールでは無かったと感じます。
少林寺拳法についての「指導者の資質」とは?
これは一言でいうのは難しいですが、少なくとも私が思っているものは3つあります。
もちろん私も完ぺきではないです、精進の中で感じています。
1,門下生ができないのは、指導が悪い。覚悟を決める
まず、最初に門下生が技ができないことは、指導者の責任だとしっかりと自覚することが一番です。
先日本部で面接を受けた際も、この話を面接官にしました。
少林寺拳法は、とても難しい技術です。
よって、まず「この技初めてやります」と人が出来るはずがない、そう断言できます。
指導する立場の人間は、教えることに責任を持つ必要があります。
別にそれは、完璧に教えれることではなく、門下生に親身になっていかに一生懸命教えれるかの姿勢を問われます。
もちろん、門下生そのものにやる気がない場合は、別です。
まずは、教える立場として「出来ないのは教える立場の自分の責任だ」と自覚することです。
2、中庸を教えるために、指導者が学び続ける
門下生に教える場合「俺の逆小手」は要りません。
いわゆる「守破離」の「守」を教える必要があります。
なぜなら、門下生はのちに昇段試験などを控えます。
どんなにうまく投げられても、基本の基が出来ていないと落ちます。
最近では「攻者」が何をしているのか?などとても正確に技を審査されます。
これはとても良い傾向だと思います。
ということは、指導者が「俺の技を教えてやる」は要らんのです。
もちろん、段階を経たうえで自分の研究したものを披露することはあっても、まずは中庸を教えないといけません。
そのためにも、指導者たるもの常に自身の技術向上も必須ですが、教える立場として中庸の技をしっかりと身に着ける責任があるのです。
3,教え方を工夫し続ける、計画を練る
よくありがちなのが、修練の時間になり「科目表もっておいで、何しよか」のパターンです。
これは絶対的にダメだと思います。
なぜなら、「習う側は技の関連性を知らない」からです。
科目表の1技をやって「出来た出来た」ではいつまでたっても門下生の技の理解が進みません。
例えばもし私が「突天一」を教えるときは、いったん突天一を見せた後、次のように練習します。
- 流水蹴(後)で蹴り返しの感覚と体移動を確認
- 上受蹴で体重移動による蹴り返しの感覚をつかんでもらう
- 下受順蹴で腰を切り返さずに順蹴が出来る感覚をつかんでもらう
- 突天一につなげる
このようなイメージです。
技の関連性を学びながら、過去の技も復習させるこのです。
これをしておかないと、門下生はすべての技を「バラバラ」に覚えます。
特に「龍王拳」と「龍華拳」は必ずセットにして教えております。
まとめ
このように、指導者は単に「技が出来る」のでは不十分です。
常に「己は、足らない」という自覚を持ち、積極的に学びながら中庸の技をしっかり身に着け、教えていく必要があります。
自身の守破離の「離」のあたまで、指導をしては門下生は混乱するばかりです。
