高校時代のアホ話が、27年後に本当になった話。
高校卒業後、もう一生やることは無いと思っていた少林寺拳法。
そんな少林寺拳法の道着をまた着ることになったのには、ある1人の男がいる。
それが、少林寺拳法東京日本橋道院、道院長のこの男だ。(写真左)
彼の名は、藤原豊樹(ふじわらとよき)。
報徳学園高校の少林寺拳法部の彼が主将で、僕が副将だった。
当時、こんな話をしていた。
「将来、いつか藤原道場を作る!!」
なんの理屈もないまま、二人でそんな話でよく盛り上がった。

高校三年生の夏、周りは受験で大変なときだが、彼は推薦で日体大へ行くことがきまっていた。
僕は音楽の道に進みたいと、音楽の専門学校へ書類を出すだけ。
周りの同級生が部活を卒業して受験勉強に明け暮れるなか、この二人は暇を持て余していた。
高校合宿も3年生でありながら「引率」とか訳の分からない肩書で、現役についていった。
後輩からすれば、迷惑な話だ(笑)
道を別つ
そして、高校卒業後、彼は日本体育大学へ進学し、演武で日本一になったすごい男だ。
方や、こちらは音楽の専門学校へ進学し、バンド活動をしていた。
金のない、しがないバンドマンも今さら少林寺拳法に思いもなく、バンドもうまくいかず仕事をはじめた。
藤原も、大学の少林寺拳法で一度燃え尽きながらも、後輩の指導などもしていたが、いつしか少林寺拳法を離れていた。
27年後に起きた、まさかの事態
少林寺拳法のことなぞ、完全に生活からなくなっていた中、高校卒業から27年後。
この間も年に2度くらいは会って話をする仲だった。僕のなかで一番長い親友と言える。
さて事態は大きく動いた。藤原から連絡があった「俺、少林寺拳法の道場開くわ」
まさに寝耳にウォーターだ。「は!?」となった。
聞くと彼なりにいろいろ考えた結果、少林寺拳法を再開し道場を開くことにしたらしい。
「マジか!高校の時言うてた藤原道場やんか!おめでとう!!」
当時のアホ話が、現実のものとなる。
とても大きなことだ。
そして、ここで僕の運命の歯車が、大きく動いた。
どうやら、正式に道場と認められるのには一定の人数がいるらしい。
それを聞いた僕は答えた。
「数のうちやんか、俺もいれたらええやん」
東京の道場に、神戸の僕の名前を無理くり入れようとしたが、さすがに厳しかったようだ。
僕は、そらしゃあないな。と思いながらも、「久々に、少林寺拳法をやってみるか」と思った。
この瞬間、僕の中に新たな世界線が出来たといえる。
僕の世界線が変わる
もし、彼が藤原道場を開いてなければ。
もし、その時に「俺も入ろか?」と言わなければ
もし、その時に「少林寺拳法再開しよかな?」と思ってなければ。
ここで大きく何かが動き出した。
そして縁があり、芦屋道院に僕は身を置いた。
2022年5月、僕は少林寺拳法を再開した。
そういう意味では28年休んで、復活4年で支部を開いた僕も、だいぶヤバい人です(笑)
そこからの話は、又したいが、芦屋道院でお世話になり、横目に藤原の奮闘を見ていた。
そして、あるとき、藤原に連絡した。
「俺も、豊樹みたいに自分の道場作るわ」
彼は僕も同じようにリアクションした。
「え?」
僕は、普通になにもない50歳だった。
しかし、一歩、いや一着の道着を着たことで、世界線が変わった。
神戸三宮スポーツ少年団も当然ない。
今目の前に起きているすべて、そうこのページさえ存在しなかったのだ。
次なるアホ話の行方
それから約1年後、ほんまに支部を僕は作った。
支部を作るにあたり、僕は彼に言った。
「関東に藤原あり!関西に田中あり!みたいに、二人で少林寺拳法を盛り上げようぜ!!」
ほかの先生方に聞かれたら怒られそうな話だが、そのくらいの話で考えた方が面白い。
夢はでかくないと、目の前のことに疲弊する。
だから僕は、関西で一番デカい支部を作ると言った。
2027年、1つまた動きだす
そして、いよいよこちらの支部がする前の段階で、藤原から連絡があった。
来年2027年、うちの道院の子連れていくから、合同合宿しようぜ!
開設前の段階、一人も所属拳士がいないのに僕は「OK!がんばって集めるわ!」と言った。
2027年に、これは100%合同合宿をおこなう。
これからも、この良き友と共に、少林寺拳法を盛り上げていく。
二人が描く、これからの世界をおたのしみに!(笑)
エンディングはこの曲で。
お子さんの「やってみたい!」を大切に。
少林寺拳法 神戸三宮スポーツ少年団では、礼儀や思いやりを育みながら、一人ひとりのペースに合わせて楽しく練習しています。
まずは、気軽に体験してみませんか?親子で体験も可能です。
見学だけでも大歓迎です。

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